太陽系・地球の生成

1) 太陽の生成

 水素ガス(70〜80%),ヘリウムガス(20〜30%),その他(1〜2%)が重力によって収縮し始める。このときの温度は10〜20K(−250〜−260℃)である。収縮が進行するに従って密度が増大し,0.01g/cm3になる頃には,中心の温度も上昇して10万℃程度になる。温度が高くなると,その熱エネルギーによって膨張を始める。そして,重力による収縮と熱膨張が平衡に達して収縮が停止する。ここまでに要する時間は,約5万年である。

 しばらくすると,蓄積した重力エネルギーが開放されて,1000倍の明るさになって燃え上がる。そして膨張も起こって100倍ほどの半径を持つようになる。この頃に中心で核融合反応が始まって,原始太陽が誕生する。この頃の表面温度は現在よりも低く,約4000℃である。その後,約100万年かけて明るさと大きさが安定し,表面温度も上昇してきて,現在の太陽になったと考えられている。現在の太陽の表面温度は約6000℃である。

 2) 太陽系の生成

 太陽系の惑星の生成に関しては,以前から様々な説が提唱されてきた。代表的な2〜3の説について解説する。

a) 星雲説

 科学的な太陽系起源論の最初の提唱者として考えられるのは,フランスの哲学者であるルネ・デカルト(1596−1650)である。彼は1644年に,次のような太陽系起源説を提唱した。宇宙はエーテルという物質で満たされている。エーテルの中に浮かんでいる物質には,光の元素,透明な元素,光を反射する暗くて不透明な元素の3種類の元素があった。はじめはこれらの元素が宇宙に均等に存在していたが,エーテルの運動によって渦巻(渦動)が生じ,その中心に光の元素が集められて太陽が生成した。その回りに透明な元素と不透明な元素が回転するようになり,不透明な元素から惑星や彗星が生成した。

 1755年にドイツの哲学者イマニュエル・カント(1724−1804)が自著の『一般自然史と天界の理論』の中で,また1796年にフランスの数学者ピエール・ラプラス(1749−1827)が『宇宙の体系解説』という書物の中で,同じ様な太陽系の起源論を提唱している。彼らの説によると,はじめに希薄なガスから成る原始太陽系星雲があり,それが重力などによって収縮しはじめて太陽や惑星が生成した。彼らの太陽系起源論は,原始太陽系星雲が凝縮して惑星が形成された考えていることから,「星雲説」とも呼ばれている。

 ラプラスと同じ頃,長崎でオランダ語の通訳をしていた蘭学者の志筑忠雄(1760−1806)が,イギリスの天文学者ジョン・ケールの著した天文学書のオランダ語訳を日本語に翻訳し,『暦象新書』(1798−1802)という本を出版した。この本の付録として,「混沌分判図説」という題で彼自身の太陽系起源説を提唱している。彼がこの説を考え出したのは,1783年12月であり,ラプラスよりも13年早かった。

 この「星雲説」は,19世紀までは広く信じられていた。しかし19世紀の後半になると,角運動量の困難の問題などの,星雲説では説明しきれない観測事実が出現してきた。それを説明するために,次に述べる新しい太陽系起源論が提唱された。

b) 潮汐説

 1745年に,フランスの博物学者ジョルジュ・デ・ビュフォン(1707−1788)は,『博物誌』という著書の中で,太古に大きな彗星が太陽に衝突し,このとき太陽から放出されたガスが冷却されて惑星が生成した,という「天体衝突説」を唱えた。この説は,発表当時はあまり注目されなかったが,星雲説の欠陥が明らかになってくるとにわかに脚光を浴びはじめた。

 ビュフォンの「天体衝突説」に似た考えとしては,1901年にアメリカの地質学者のトーマス・チェンバリン(1843−1928)が,1905年に天文学者のフォレスト・モールトン(1872−1952)が提唱した,「近接遭遇説」がある。彼らの説によると,生成した直後の太陽の近くを別の恒星が通過した際に,2つの恒星の間に大きな潮汐作用が働き,恒星を形作っているガス状物質が引きずり出され,それが冷却されて微惑星を形成する。彼らは,この微惑星が集積して惑星が生成したと考えた。

 1919年に,イギリスの天文学者ジェームズ・ジーンズ(1877−1946)は,『宇宙論と恒星力学の問題』という著書の中で「潮汐説」を提唱した。ジーンズの説は,基本的にはチェンバリン・モールトンの説と同じだが,恒星から噴き出したガスが微惑星を形成する過程を経ずに,直接惑星を形成すると考えたところが相違点である。このジーンズの「潮汐説」は,20世紀初頭に大きな支持を得た太陽系起源論である。しかし,この「潮汐説」に従って太陽系が形成したとしても角運動量の困難は解消できないという計算結果が出された。

 また,1935年にアメリカの天文学者であるヘンリー・ラッセル(1877−1957)は,ジーンズの「潮汐説」に修正を加えた「連星説」を発表した。この説では,太陽は生成当初には伴星を伴っていて,その伴星と接近してきた恒星の間に潮汐作用が働いてガス状物質が噴き出し,それを材料として惑星が形成された,と考えている。

 この太陽系起源論では,力学的には現在の太陽系の状態が矛盾なく説明されているようだった。しかし,噴き出したガスは集積せずに散逸してしまう可能性が高いことが,計算によって明らかになった。また,太陽への別の恒星が接近するという現象は,非常に確率が小さいことであると考えられる。もしそうであるならば,「潮汐説」あるいは「連星説」による惑星の形成は極めて特異的な現象であるということになる。

 c) 微惑星集積説

 1969年にソ連のサフロノフ(1917-1999)が,1972年に京都大学の林忠四郎(1920-2010)らが,原始太陽系星雲からの惑星の形成について,「微惑星集積説」という説を,独立に提唱した。太陽系の起源に関しては,この説が現在最も妥当な説であるとされている。「微惑星集積説」によると,惑星は以下のシナリオに基づいて生成すると考えられる。

 惑星は原始太陽系星雲を原料にして生成すると考えられている。この仮定は「星雲説」と同じである。

 原始太陽が生成してから約1000年後に,原始太陽系星雲は温度が約−200〜−100℃になって定常状態になる。この頃になると,冷却によって固体粒子が原始太陽系星雲の中で凝縮を始めて,薄い円盤状の層を形成する。地球軌道付近で凝縮するのは金属鉄やケイ酸塩であり,木星軌道付近では金属鉄やケイ酸塩に加えて,水,メタン,アンモニアなどが凝縮する。

 約1億年後には,この円盤状の層が重力的に不安定になって,一気に分裂をして半径10km程度,重さ約1015kgの微惑星を形成する。微惑星は原始太陽系星雲の中で約100億個から1兆個生成する。この微惑星が互いに衝突して,約50万年かけて半径約1000km,重さ約1022kgの原始惑星にまで成長する。この原始惑星は,さらに微惑星を捕獲しながら約100万年から1000万年かけて現在の惑星の大きさに成長する。地球の半径は約6400km,重さは約6×1024kgであり,木星の半径は約7万km,重さは約2×1027kgである。

 3) 地球の生成

 地球の生成をもう少し詳しく解説する。ここで解説するのは,松井孝典と阿部豊による地球生成のシナリオである。このシナリオは「微惑星集積説」に従って,地球型の惑星の形成過程を詳細に記述している。

 隕石などのデータから,地球軌道付近で生成する微惑星は少なくとも0.1%の水分を含んでいると考えられる。この微惑星が原始惑星に衝突すると,双方から揮発性の高い物質(水,二酸化炭素など)が放出される。放出されたガスによって,原始地球は水蒸気を主成分とする原始大気を保持するようになる。

 原始大気を保持するようになると,微惑星の衝突などで生成する熱が宇宙空間に放射され難くなって,熱エネルギーが蓄積される。すると,その熱エネルギーによって惑星表面が融解して,マグマオーシャンと呼ばれるマグマの海が生成する。

 マグマオーシャンが生成すると,その中に水蒸気が吸収されて大気の量が減少する。すると,大気による保温効果が減少して惑星表面の融解した部分,すなわちマグマオーシャンが小さくなる。

 マグマオーシャンが小さくなると,吸収される水蒸気量が減少して大気の量は増加する。すると再び保温効果が大きくなって,惑星表面の温度が上昇する。このようなフィードバック機構が働くことによって,微惑星の衝突が続いている間は惑星表面の温度と大気の量はほぼ一定に保たれる。

 微惑星の衝突の頻度が少なくなってくると,惑星表面の温度は下がってきて,マグマオーシャンも小さくなる。そして,大気中の水蒸気が凝固して原始海洋が形成される。

 以上のようにして,水惑星とも呼ばれる地球が生成し,化学進化の時代を経て,原始海洋中に最初の生命が出現したと考えられる。

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