古代の生命観2

2) 古代ギリシアの自然観・生命観

 ギリシア神話の神々の言動は,古代ギリシアの人々が,自然が人間と同じように霊を持ち意志や感情を持つと考えられていたことを表している。このような,呪力観的(デュナミスティック),呪物観的(アニミスティック)自然観から,しだいに自然現象を論理的・合理的に把握するようになってきた。古代ギリシアの自然哲学は,紀元前6世紀から5世紀にかけて,イオニア地方において成立した。

 イオニアの思想家たちは,自然現象の原因は現実の自然そのものであると考え,「宇宙の根元物質(アルケ)は何か」ということを考えていた。アルケとは,移り変わる自然の奥に存在する,変化することのない,基礎となる実体あるいは物質のことである。

 ギリシア哲学の祖とされているタレス(紀元前580年頃)は,アルケは水であると考えた。また,彼はあらゆる自然物には生命があると考えていた。この考えは,アニミズムの延長線上にある。

 アナクシメネス(紀元前545年頃)は,空気をアルケとした。ヘラクレイトス(紀元前500年頃)は,火をアルケと考えた。エンペドクレス(紀元前450年頃)は,自然は土,水,火,空気の四元素から出来ていて,これらの組み合わせでさまざまな自然物が生まれると考えた。

 またこれらの考えとは別に,デモクリトス(紀元前450年頃)は宇宙を構成している根元物質として原子(アトモス)を考えた。アトモスとは,それ以上分割できない最小の微粒子の意味である。このアトモスの概念は,19世紀のはじめドルトンによって引き継がれ,近代原子論に発展していった。ただし,デモクリトスは霊魂もアトモスからなるとして,物質の一種であると考えていたようである。

 しかし,古代ギリシア最大の哲学者であるアリストテレス(紀元前350年頃)は,デモクリトスの考えに批判的であった。彼の生命観は,どちらかと言うとアニミズムに近かった。生物の体は肉体と霊魂が複合してできあがっていて,肉体は霊魂の道具であり,機関であると考えた。植物は養分を吸収することと繁殖することしかできない下等な機関であり,動物には感覚の能力と移動の能力が加わっている。人間にはこの上に思考する能力が加わっていると考えた。霊魂にも下等なものから高等なものまで段階があり,人間が持っているものが最高のものであると考えた。

 また,アリストテレスは動物や植物を採集し,それらの分類を行っている。そして自然界にはいろいろな生物がいるが,動物界や植物界は形態上も機能上も連続しており,動物と植物の間にも明確な境界線は引けないと述べている。このように分類学的な観察を行っているが,アリストテレスには個々の生物間の差異が生物進化によって生じたものであるという,ダーウィン流の概念はなかった。

 生物の出現に対するアリストテレスの考えは,いわゆる自然発生的な考えであった。 

3)古代インドの自然観

 古代ギリシアの哲学者の中で最も偉大な哲学者の一人とされているアリストテレスの自然観は,『自然は一見したところ,絶えず生成と消滅を繰り返す不安定な状態にある。しかしながら,この自然はある目的に向かって整然とした進歩をしており,その終点には神々によって準備された,”完全なる目的”が置かれている』というものであった。一方,仏陀(紀元前6世紀)の教えの中にもアリストテレスの自然観に類似したものがある。仏教の教義の中で最も根本的なものは,三法印の中の”諸行無常”の思想である。これは,宇宙における一切のものは常に流転し,少しの間も静止することはないという思想である。この思想は日本にも輸入されていて,平安時代の中期の鴨長明による『方丈記』の冒頭に,「ゆく川の流れは絶えずして,しかも,もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは,かつ消えかつむすびて,久しくとどまりたるためしなし」と書かれている。また仏教では,宇宙はパラマーヌと呼ばれる,究極の要素からつくられていると考えられている。このパラマーヌは霊魂とか生き物ではない無生物的な要素であり,生命とはこのパラマーヌの組み合わせによって起こっている現象であると考えられている。この組み合わせは長く持続するものもあれば,瞬時に崩壊するものもあり,森羅万象はこのパラマーヌの一時的な組み合わせの不断の流れであって,”無常の連続”であると考えられている。そして,パラマーヌの集合・崩壊によるあらゆるものの生滅は,偶然によるものではなく,「因果(縁起)」の法則によって規定されている,と考えられている。このパラマーヌという要素は,古代ギリシアの哲学者たちが求めていた宇宙の根元物質である『アルケ』,あるいはデモクリトスの『アトモス』と同じようなものと考えて良いであろう。

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