生命の自然発生説

 紀元前4世紀のメソポタミアの壷には,波から植物が生じ,さらに動物が現れ,その上に人間があり,それらのすべての上に生命と豊饒の女神イシュタルの絵が描かれている。また,紀元前32世紀のバビロニア帝国の楔形文字の原本の中には,潅漑用水路の水や泥から生物が生じるという記載がある。さらに,エジプトの象形文字には,ナイル川の反乱の後に残された腐食土層から,カエル,ヘビ,ネズミが発生することが示されている。このように,生命の自然発生に関する考えは紀元前から存在していた。

 古代ギリシアの哲学者たちも,やはり生命の自然発生を信じていた。タレスは,すべての生物は水から発生し,湿気の中で生まれたと考えた。エピクロス(紀元前300年頃)は,熱と雨の結果あるいは糞から虫や他の多くの動物が発生すると考えた。先週登場したアナクシマンドロスは,太陽が海の泥を泡立たせて,その中からさまざまな動物が発生し,そのうちの魚の形をした動物が脱皮して陸に上がり,人間などの陸上の動物が誕生したと考えていた。

 アリストテレスは生物が同様な生物から生まれること以外に,生命のない物質からの生命の自然発生も起こるし,また常に起こっていたと考えた。その一例として,朝露から生まれるホタルを取り上げている。その後のヨーロッパの哲学者たちは,アリストテレスによる生命の自然発生の概念を受け継ぐことになった。そして,この自然発生の理論的根拠は,時代とともにより観念的で神秘的な性格を持つようになった。

 3世紀の新プラトン主義者プロティノスは,生命は過去に湿った土から発生したばかりでなく,現在も腐敗の過程で発生していると考え,この現象を生命創造の魂による物質の賦活化の結果として説明した。これによって,生気論の学説にみられる生命力の概念が確立されたと考えられる。

 45世紀のキリスト教の神学者たちは,神による天地創造における生命の発生と新プラトン主義の生命の自然発生の概念を結び付けた。彼らは,神は植物や動物を直接創造したのではなく水からそれらを生じるようにさせた,と考えた。このキリスト教的自然発生説は,その後17世紀まで支配的であった。

 例えば,ウィリアム・シェイクスピア(15641616)は『アントニウスとクレオパトラ』(1606)の中で次のように書いている。「エジプトのヘビはエジプトの泥から太陽の働きによって生まれてくる。同様にワニも」

 17世紀の卓越した思想家であり,イギリス唯物論の創始者であるフランシス・ベーコンでさえ,ハエ,アリ,カエルのような生物は種々の物質の腐敗によって自然発生し得ると述べている。また,フランスの唯物主義者デカルトも生物の自発的な発生を疑いのないものと考えていた。しかし,この時代になると生命の自然発生に際して生命力などの霊的本源は必要がないと考えられ始めた。自然発生とは複雑な機械(生物)の自己形成の過程にすぎず,一定の条件が整えば自然に起こるものであると考えられた。

 また,17世紀になると実験によって自然界の現象を検証したり再現することが盛んになってきた。

 ファン・ヘルモント(15771644)は,汚れたシャツで小麦の壷をふさいでおくと,シャツから発生する発酵素が麦粒の香りを受けて変質し,ほぼ3週間すると小麦が変化してネズミになるという実験を行って,自然発生説を検証しようとした。

 一方,生命の自然発生に対しても,実験結果によって反対の意見を述べる人物が現れた。イタリアのフランチェスコ・レディ(16261698)は,肉の中に発生するウジはハエの幼虫であることを示し,布でおおった容器中の肉にはウジは発生しないことも示した。彼は,ハエが布の上に卵を産みつけるのを見たが,その卵が肉の上に落ちたときだけウジが肉の中に発生することを発見した。レディはこの結果から,肉の中に自然発生すると考えられていたウジは,ハエが産みつけた卵から生まれるのであり,決して自然発生しているのではないと結論づけた(1668年)。

 また,この時代に顕微鏡が発明されて,肉眼では観察できなかった微生物というものが存在することがわかった。そして有機物の腐敗や発酵が起こったところには必ず微生物が存在していることが観察された。この観察結果から,目に見えないような微生物は,分解しつつあるスープなどの中で自然発生するという考えが生まれた。

 スコットランドの牧師ジョン・ニーダム(17131781)は,スープをガラスのフラスコにいれ,数分間煮沸してコルクで栓をして放置しておくと,数日中にフラスコの内容物が腐敗することを観察した。彼はこの結果から,フラスコ内で微生物が自然発生したと考えた。フランスのビュフォンはこの結果を支持し,生体を形成した物質はその死後も活力の残渣を保持しており,生命の本源は身体を形成している分子の中に存在しているという考えを示した。

 ニーダムの実験に対して,イタリアの神父ラザロ・スパランツァーニ(17291799)は煮沸時間を3045分にして同様な実験を行ったところ,フラスコ内のスープは腐敗しないことを発見した。しかし,この結果に対してニーダムは,スパランツァーニが非常に過酷な条件で煮沸を行ったために,スープ中及びフラスコ内の空気中の生命力が破壊されてしまい,そのために微生物が自然発生しなかったと反論した。

 このような,生命の自然発生に対して賛成の立場をとる学者と反対の立場をとる学者の論争は19世紀まで続いた。この論争に終止符を打ったのがフランスの科学者ルイ・パスツール(18221895)である。

 パスツールは,同じフランスの博物学者プーシェ(18001872)による「生命は神の力によって自然に発生する。」という主張に疑問を抱き,実験によってこの問題を解決しようとした。そこで彼は,まずスープが腐敗するのは空気中に存在する微生物が原因であることを明らかにし,空気中の塵を植え付けると腐敗が起こることを実験的に証明した。そして,栓をしていないS字型の首のフラスコ中のスープを加熱してゆるやかに冷却すると,空気中に存在する微生物はS字型の首のところに付着してフラスコの中に進入できないためにスープは腐敗しないが,フラスコの首を切断すると空気中の微生物が進入して,すぐにスープが腐敗することを示した(1864年)。

 パスツールによる生命の自然発生に対する否定実験によって,当時信じられていた生命の自然発生説はその根拠を失った。そして,生物は生物からのみ生まれ,無生物からは生成しないことが明らかになった。しかし,生物は生物からしか生まれないとしたら,時代をどんどんさかのぼってゆき,最初の生物がどのように出現したかという疑問が,当然のことながら生じてくる。

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