生物機械論

 古代から中世に至るまでの生命観に関しては,以前にも紹介したように『霊魂・精霊』の存在を信じていた。すべての生物の体内には霊魂・精霊が宿っていて,『死』とは生物の体から霊魂が抜け出ることであると信じられていた。このようなアニミズム的・生気論的な考えは,おそらくネアンデルタール人やクロマニョン人の時代から存在していたであろう。古代エジプト人が王の死体をミイラとして保存していたのも,死後の世界へ行った霊魂が現世に復活した際に戻ってくる体がないと困ると考えていたからである。また,旧約聖書の創世紀の中には,神が自分に似せた泥人形に息を吹き込んで人間をつくった,と書いてある。これは正に生気論の考え方である。

 古代ギリシアの哲学者たちも,基本的には生気論を信じていたと考えられる。たとえばアリストテレスは,生命を生命たらしめる原理として『プシュケ』を想定した。このプシュケは霊魂と同義であると考えてよい。アリストテレスは,人間の場合は心臓にプシュケが宿っていると考えた。

 古代ギリシアの医学者であるガレノス(130200)は,万物は神聖な知性によって創造されたものであり,人体には造物主の力と英知が現れている,と考えた。また,体は霊魂の道具であり,霊魂(プネウマ)は血液の中に存在すると考えていた。このような生気論的な考えは17世紀頃まで支配的であった。

  16〜17世紀になると,以前にも述べたように自然科学的なものの考え方が普及してきた。この時代になると,アンドレアス・ヴェサリウス(1514−1564)やウィリアム・ハーヴィ(1578−1657)などによって,動物を用いた解剖学的・生理学的な研究が盛んに行われた。その結果として動物の体内での各器官の役割が徐々に明らかになってきた。また,工業技術の発達によって動物ではないのに自ら動き続ける,いわゆる「機械」というものが発明された。それに伴って,それまでの生気論のような超自然的な生命観から,生物機械論という新しい生命観が生まれてきた。

 この「生物機械論」を,明確な思想として最初に打ち出した人物は,フランスの哲学者ルネ・デカルト(15961650)である。彼は,「我思う。故に我在り」という思想で有名な唯物論者であった。デカルトは『方法序説』(1637)などの著書の中で,人間以外の動物の体は各器官の装置によって動く機械であるという考えを述べている。そして,精神を持つ人間は動物とは区別して考えた。つまりデカルトの提唱した機械論は,正確に言うと”動物機械論”である。彼は,人間が理性的な言語を使用し理性的な行動をとることができるのは,人間だけが持つ理性的精神(霊魂)の働きであり,人間においては生命精気や霊魂は脳に宿っていると考えた。このようにデカルトの思想は,人間の取扱いに関しては首尾一貫してはいないが,同じフランスの医師ド・ラ・メトリ(17091751)は,『人間機械論』(1747)という本を著して人間の精神活動にまで機械論を拡大した。

 生命現象の科学的研究が進むに従って生物機械論は普及して行くが,19世紀以降は生命現象を物理学的・化学的に解明するという方向が主力になり,これを還元主義的生物学と呼ぶ。現在の分子生物学は,このような立場から出発した。

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